鹿児島県鹿児島市・日置市・指宿市周辺
薩摩焼の歴史
薩摩焼の歴史は、16世紀末の文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の際、薩摩藩主・島津義弘が朝鮮半島から連れ帰った陶工たちが、藩内各地に窯を開いたことに始まります。特に苗代川(現・日置市東市来町美山)や堅野(かたの)といった地域を中心に、独自の発展を遂げました。
幕末から明治にかけて、薩摩焼は世界を驚かせました。1867年のパリ万国博覧会に、薩摩藩が単独で出品した「SATSUMA(白薩摩)」は、その精緻な絵付けと気品ある佇まいでヨーロッパの貴族たちを魅了し、「サツマ・ウェア」の名で一大ブームを巻き起こしました。
藩の庇護のもとで育まれた「官窯(かんよう)」としての伝統と、庶民の暮らしに根ざした「民窯(みんよう)」としての伝統が、今日まで「白」と「黒」の両輪となって受け継がれています。
薩摩焼の作風
薩摩焼の魅力は、「白薩摩(しろさつま)」と「黒薩摩(くろさつま)」という対極的な二つの様式に集約されます。
- 白薩摩(しろさつま): 藩主や貴族向けに焼かれた献上品。「象牙色」と称される乳白色の肌に、表面を覆う細かいヒビ(貫入)、そして金・赤・緑などの色鮮やかな絵付けが特徴です。繊細で格調高く、芸術品としての側面が強い様式です。
- 黒薩摩(くろさつま): 一般の庶民が日常使いするために焼かれた道具。鉄分の多い黒土を使用し、漆黒の落ち着いた輝きを放ちます。
- 黒じょか: 黒薩摩を象徴する道具で、焼酎を温めるための平たい土瓶。直火にかけて使う、まさに「用の美」を体現した道具です。
この「貴の白」と「野の黒」の共存こそが、薩摩焼の奥深い多様性を形作っています。
薩摩焼の主な作家
- 沈壽官
- 櫟山
- 荒木陶窯
薩摩焼を見に行く
薩摩焼の里は、特に日置市の「美山(みやま)」地区に多くの窯元が集まっています。
- 美山(旧・苗代川): 薩摩焼の聖地。沈壽官窯をはじめとする数多くの窯元や工房、カフェが点在し、歴史的な風情を感じながら歩いて巡ることができます。
- 薩摩焼の里・沈壽官収蔵庫: 歴代の沈壽官による名品や、パリ万博出品時の資料などを鑑賞でき、その歴史的重みを体感できます。
- 仙巌園(せんがんえん): 薩摩藩主・島津氏の別邸。園内に薩摩焼の展示・販売所があり、藩主が愛した美意識に触れることができます。