福岡県田川郡福智町(上野地区)
上野焼の歴史
上野焼の歴史は、1602年(慶長7年)、豊前小倉藩主・細川忠興(ほそかわ ただおき)が、朝鮮陶工の尊楷(そんかい/日本名:上野喜蔵)を招いて窯を開かせたことに始まります。
細川忠興は千利休の高弟「利休七哲」の一人であり、茶道に極めて造詣が深い大名でした。そのため、上野焼は開窯当初から「茶陶(茶の湯のための器)」として、藩主の厳しい美意識のもとで磨き上げられました。
江戸時代を通じて小倉藩の御用窯として発展し、遠州七窯(えんしゅうなながま/小堀遠州が選定した七つの窯)の一つにも数えられるなど、その格式高さと洗練された造形は、現代に至るまで「上野(あがの)の品格」として受け継がれています。
上野焼の作風
上野焼の最大の特徴は、**「釉薬の種類の豊富さ」と、他の産地にはない「器の軽さ」**にあります。
- 多彩な釉薬: 銅を使った鮮やかな「緑釉(りょくゆう)」、鉄分による「飴釉(あめゆう)」、そして上野焼を象徴する、青白い「釉流し(ゆうながし)」など、数十種類に及ぶ釉薬が使われます。
- 三彩(さんさい): 複数の釉薬を掛け合わせ、窯の中で複雑に混ざり合うことで生まれる抽象的な景色は、上野焼の大きな魅力です。
- 薄造りと軽さ: 茶陶として発達したため、手に持った時の負担が少なく、お茶を点てやすいよう非常に薄く、軽く作られています。これは高度なろくろ技術の証でもあります。
- 無釉焼き締めとの対比: 釉薬を使わない「備前」などに対し、上野焼は「釉薬の芸術」とも言われ、その華やかさと気品が持ち味です。
上野焼の主な作家
- 渡久平(渡窯):伝統的な上野焼の格式を守り、洗練された茶陶を制作。
- 上野焼 宗家 渡辺窯:開窯以来の伝統を重んじ、格調高い作風を継承。
- 十代 庚申窯(こうしんがま):伝統技術をベースに、現代の生活に馴染む新しい表現を追求。
上野焼を見に行く
福智山の麓に位置する上野地区は、静かな山あいに窯元が点在する情緒豊かな里です。
- 上野焼陶芸館:全窯元の作品が展示販売されており、まずはここで多彩な釉薬のバリエーションを俯瞰するのがおすすめです。
- 窯元巡り:約20軒の窯元が徒歩圏内に集まっており、それぞれの窯で異なる「釉薬の秘密」を聞きながら巡ることができます。
- 福智町 上野の里交流会館:地元の歴史とともに、陶芸体験なども楽しめる拠点施設です。