益子焼

栃木県芳賀郡益子町周辺

益子焼の歴史

益子焼の歴史は日本の窯業産地の中では浅く、江戸時代の末期頃に笠間で修業した大塚啓三郎がこの地に窯を築き、始まったといわれています。
益子では窯業に適した粘土が豊富に取れるものの、鉄分も含まれる砂っぽいザラザラした質感のものであり、献上品に使われるような高級な陶器の類には向かず、民窯として、壺、土瓶など庶民が普段使いするような日用品を生産する形で発展していきました。

そんな益子のイメージが一変したのは、民芸の巨匠・濱田庄司が益子に拠点を定めた時でした。
柳宗悦が提唱した民芸運動は、大正時代に始まった、「用の美」を合言葉に無名の職人が作る日用雑貨に美を見出す運動です。
この運動において中心的な役割を担った濱田庄司は民陶であった益子に自らの理想を見出し、拠点を築いて腰を据えたのです。

既に大きな名声と交流を得ていた濱田の定着は、益子に「民芸のメッカ」ともいうべき新たな空気を生み出し、既存の益子の陶芸家も濱田と交流し、また濱田に憧れ、濱田を追って益子で活動を始める陶芸家も生まれるなど、益子の様相を一変させました。
濱田庄司、バーナード・リーチといった民芸の雄や、更に民芸にとどまらない加守田章二を旗頭に大いに栄え、濱田本人のみならず弟子の島岡達三も人間国宝に選定されたあたりが、益子焼の最盛期だったと言えます。

しかし民芸は、その活動が盛んであった頃から北大路魯山人も真っ向から批判するなど、反対するような意見もありました。
本来「無名の陶工」による庶民の為の作品が最高とされる(そのために濱田庄司も作品に銘を入れません)理念であるはずが、人間国宝にも選ばれ高名な濱田の作品は、その作りがどうあれ扱われ方は庶民の為の実用の道具とは言い難く、民芸系の作家が評判を得れば得るほど、元来良しとした姿からは離れていく、というジレンマがあります。

日本各地の伝統工芸と言えるやきものの世界が、より個人主義作家主義になっていくにつれ、民芸運動も下火になっていき、平成から令和を迎えた現在において、その最盛期のような活動はもはやありません。
島岡達三亡き後は人間国宝も出ておらず、現在の益子に「かつてとても栄えていた」という印象は禁じ得ない雰囲気がありますが、しかし濱田庄司が整理して進めた「益子らしさ」というやきものにおける存在感は現在にも受け継がれています。

この益子の伝統を受け継いで更に一歩未来に進めるような、次世代のエースと言える陶芸作家が出現することが渇望されている産地、と言えるでしょう。

益子焼の作風

益子焼の特徴は、やはり濱田庄司が駆使した柿釉・糠白釉を中心とした大皿、鉢、碗、方壷にあります。
また、濱田庄司が絶賛し有名になった、皆川マスの素朴な絵付けによる土瓶も有名です。
あまり知られていませんが誰もが目にする有名なところでは、横川で売られる有名な荻野屋の「峠の釜めし」の釜は、益子の「つかもと窯」で作られています。この釜の作りはまさに「機械工場生産・大量生産」といった感じではあるものの、考えようによってはそれこそが濱田庄司が目指した民芸の体現である、かもしれません。

土の種類はいくつかありますが、基本的には焼き締まりがちな砂混じりの土です。

釉薬は、半農半陶であった益子ならではの農家で自然に取れる稲わらや木灰などを原料としたものであり、窯業科出身で京都市立陶芸試験場でも釉薬の研究をしていた濱田が体系としてまとめた面はあれど、民芸の側面から、伝統的なものが多くなっています。
施釉は厚め、しっかり溶けたガラス質の硬質なものが多くなっていますが、糠白釉などの一部は、唐津焼にもつながるようなざっくりした質感を見せます。

造形は基本となるのがろくろであり、かつては蹴ろくろ、現在では電動ろくろとなっています。
これは職人を志向した濱田庄司の考えでもあり、職人はろくろが上手くなければならん、というものでした。
方壺などは型を使った作り方で、タタラも含めて多様な作り方をしますが、根本にあるのは民芸としての「大量生産」の考え方です。

焼き方は、かつては登り窯を使ったものでした。これは一度に大量に焼けるため、昔においては大量生産に適した焼き方、とも言えました。
しかし薪の入手なども含めて登り窯を焚くことは年々難しくなっており、これは日本全国どこも同じではありますが、現在ではガス窯や電気窯も増えています。

現在の益子は「窯業地」として分け隔てなく発展しているため、作風や作り方においても、かなり多種多様になっています。
島岡達三の弟子で現在の益子を代表する松崎健なども、旧来の民芸・益子らしさからは大きく離れ、美濃茶陶に独自の経験からくるエッセンスを加えたような悪品を生み出しています。

民芸品としての益子焼は、とかく大量生産品として同じようなものが繰り返されますが、現代ではそこにとどまらず、かなり色々な方向へ発展している、と言ってよいでしょう。

益子焼の主な作家

  • 濱田庄司
  • 加守田章二
  • 島岡達三
  • 皆川マス
  • 木村一郎
  • 村田元

益子焼を見に行く

益子焼は年に2回陶器市が行われます。陶器市の期間は周辺道路も渋滞し、大変な賑わいがあります。

購入したい場合は、窯元共販センターを中心に、周囲に販売店などが軒を連ねています。
カフェなどもありますから、陶器市以外の時期はゆったりと田舎の雰囲気も感じながら、やきものを見て回ることができます。
少し離れた場所にあるつかもと窯は広大な敷地を複数の販売店を持ち、ここも見どころはたくさんあります。

また、陶芸美術館・陶芸メッセや、益子参考館など、見て学ぶ施設も充実しています。

益子焼リンク