大堀相馬焼

福島県双葉郡浪江町

大堀相馬焼の歴史

大堀相馬焼の歴史は江戸時代中期の元禄年間、相馬藩士・半谷休閑(はんがい きゅうかん)が浪江町の大堀で陶土を発見し、使用人に焼かせたことに始まります。相馬藩はこれを手厚く保護し、幕末には100軒以上の窯元がひしめく東北最大の産地へと成長しました。

しかし、2011年の東日本大震災とそれに続く原子力発電所の事故により、産地である浪江町大堀地区は帰還困難区域に指定され、すべての窯元が避難を余儀なくされました。伝統の途絶が危ぶまれましたが、多くの陶工たちが「伝統の火を消してはならない」と、福島県内の二本松市や会津若松市、いわき市などに新たな窯を築き、再起を果たしました。

現在は「伝統的工芸品」としての誇りを胸に、浪江の土を再現する試みや、現代的なライフスタイルに合う新しい相馬焼の形を模索し続けています。

大堀相馬焼の作風

大堀相馬焼には、他の産地にはない「三徴」と呼ばれる三つの大きな特徴があります。

  • 青ひび(あおひび): 器の表面に広がる、ひび割れのような模様。素材と釉薬の収縮率の違いを利用したもので、焼き上がった後に「貫入音(かんにゅうおん)」と呼ばれるキーンという高い音を立てて生まれます。
  • 走り駒(はしりごま): 相馬藩の家紋である「左向きの馬」が描かれます。これは「右に出る者がいない」という縁起物として、古くから親しまれてきました。熟練の筆致で描かれる馬は、今にも器から飛び出しそうな躍動感があります。
  • 二重焼(ふたえやき): 器を二重構造にする独自の技法。熱い飲み物を入れても持ち手が熱くならず、中身も冷めにくいという、東北の厳しい寒さをしのぐための生活の知恵が詰まっています。

大堀相馬焼の主な作家

震災後、各地で再開した代表的な窯元です。

  • いかりや窯: 伝統的な走り駒を守りつつ、現代的なデザインにも挑戦。
  • 京月窯: 二本松市に拠点を移し、力強い青ひびの作品を作り続けています。
  • 松永窯: 伝統の継承とともに、若手クリエイターとのコラボレーションなど、新しい相馬焼の形を積極的に発信しています。

大堀相馬焼を見に行く

現在は浪江町だけでなく、移転先の各地域でその作品に触れることができます。

  • 道の駅なみえ(なみえの技・展示販売所): 浪江町の復興のシンボル。大堀相馬焼の特設コーナーがあり、多くの窯元の作品を手に取ることができます。
  • 二本松市・会津若松市の各窯元: 陶工たちが新たに構えた工房を訪ね、体験や購入が可能です。
  • 大堀相馬焼 伝統産業会館(二本松市): 産地の歴史や震災からの歩みを学び、作品を鑑賞できる拠点施設です。

大堀相馬焼リンク