大分県日田市源栄町(小鹿田の里)
小鹿田焼の歴史
小鹿田焼は、江戸時代中期の享保年間(1700年代前半)、当時の小倉藩(福岡県)の小石原焼から陶工を招いて開窯されました。以来、大分県日田市の山深い「小鹿田の里」で、現在も10軒の窯元が共同体としてその伝統を守り続けています。
小鹿田焼の最大の特徴は、その「頑ななまでの伝統継承」にあります。開窯以来、**「一子相伝(いっしそうでん)」**の形をとり、弟子を取らず、代々その家の長男のみが技術を継承してきました。また、機械を一切使わず、すべての工程を家族や地域の共同作業で行うスタイルを今も崩していません。
昭和初期、民藝運動を推進していた柳宗悦がこの地を訪れ、「世界一の民陶(みんとう)」として絶賛したことで、その名が全国に知られるようになりました。1995年には、その保存・継承の価値が認められ、国の重要無形文化財に指定されました。現在も、川の水の力を利用して土を砕く「唐臼(からうす)」の音が響く里山で、300年前と変わらぬモノづくりが続いています。
小鹿田焼の作風
小鹿田焼は、日常使いの「民磁」としての機能性と、幾何学的でモダンな装飾美が同居した作風が魅力です。
- 飛び鉋(とびかんな): 小鹿田焼を象徴する技法。ろくろを回しながら、金属製のヘラを弾かせて、連続した小さな削り跡を刻むもの。
- 刷毛目(はけめ): 白い化粧土を刷毛で塗り、独特の縞模様を作る技法。
- 打ち掛け・流し掛け: 釉薬(飴釉や緑釉)を柄杓で勢いよくかけ、動きのある模様を作るもの。
- 櫛描き(くしがき): 櫛のような道具で波状の模様を刻む技法。
材料となる土はすべて里の山から採り、釉薬も天然の素材にこだわります。素朴でありながら、現代の北欧デザインなどとも相性が良いモダンな幾何学模様は、世代を超えて多くのファンに愛されています。
小鹿田焼の主な作家(窯元)
小鹿田焼は「個人名を出さない」のが伝統的なルールです。作品には作家個人ではなく、その「家」を継ぐ者としての責任が込められています。
- 坂本家
- 黒木家
- 柳瀬家
- 小袋家
※基本的には「小鹿田焼」という共同体のブランドとして流通しています。
小鹿田焼を見に行く
「小鹿田の里」は、まさに日本の原風景と呼べる場所です。
- 小鹿田焼の里(源栄町): 谷川沿いに建つ10軒の窯元を歩いて回ることができます。あちこちから聞こえてくる唐臼の「ギィーコト、ギィーコト」という音は、環境省の「日本の音風景100選」にも選ばれています。
- 小鹿田焼陶芸館: 小鹿田焼の歴史や製法を詳しく学ぶことができ、過去の名品から現代の作品までを鑑賞できます。
- 民陶祭(みんとうさい): 毎年10月の第3土・日曜日に開催される大イベント。里中に作品が並び、全国からファンが集まります。