滋賀県甲賀市信楽町周辺
信楽焼の歴史
信楽焼は、岡山県の備前焼などと並び「日本六古窯」の一つに数えられる、非常に歴史の古い産地です。その起源は8世紀、聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を造営した際、瓦を焼いたのが始まりと言われています。
中世(鎌倉・室町時代)には、その堅牢な土の特性を活かし、農民が使う常備用の壺、甕(かめ)、摺鉢(すりばち)などが大量に焼かれました。この素朴で力強い佇まいが、後の室町時代末期から桃山時代にかけて、村田珠光や武野紹鴎といった茶人たちに見出されます。
彼らは本来雑器であった信楽の器を「見立て」の精神で茶席に取り入れました。特に「信楽うずくまる」と呼ばれる小壺は、茶人たちの間で珍重され、茶陶としての地位を確立します。
江戸時代に入ると、茶陶だけでなく、商業の発展に伴い「信楽の貸し徳利」などの商業用雑器が全国を席巻します。そして近代、昭和時代に入ると、藤原銕造(ふじわら てつぞう)が考案したと言われる「狸の置物」が、昭和天皇の信楽行幸をきっかけに全国的に有名になり、信楽の代名詞となりました。
現在は、2019年のNHK連続テレビ小説『スカーレット』でも描かれた通り、伝統を守る窯元と、自由な表現を求める個人作家が共存する、活気ある産地として知られています。
信楽焼の作風
信楽焼の最大の特徴は、「火色(ひいろ)」と呼ばれるオレンジ色の発色と、土に含まれる長石が溶け出して白い粒となる「蟹の目(かにのめ)」、そして降りかかった灰が溶ける**「自然釉」**です。
信楽の土は、かつての琵琶湖の底に堆積した「古琵琶湖層」から採れる粘土で、非常に耐火性が高く、かつ粗いのが特徴です。この土を薪窯でじっくり焼くことで、土の中の鉄分が酸化し、温かみのある赤褐色や明るいオレンジ色の「火色(スカーレット)」が現れます。
また、高温で焼かれる過程で薪の灰が器に付着し、それが土の成分と反応して緑色のガラス状になる「自然釉」や、灰に埋まった部分が黒く変色する「焦げ」など、炎が作り出す予測不能な景色が最大の魅力です。
伊賀焼が「作為的な造形美(耳付やヘラ目)」を特徴とするのに対し、信楽焼はより**「土そのものの質感」**や、炎による自然な変化を尊ぶ傾向にあります。
信楽焼の主な作家
- 上田直方
- 高橋楽斎
- 高橋春斎
- 神山清子
- 古谷和也
- 小川顕三
信楽焼を見に行く
信楽は町全体が「やきものの里」としての景観を保っており、散策するだけで楽しめます。
- 滋賀県立陶芸の森: 世界的な陶芸専門の美術館や、アーティスト・イン・レジデンス(滞在制作施設)があり、信楽の現在進行形の芸術に触れられます。
- 信楽伝統産業会館: 歴史的な名品から現代の作品まで、信楽焼の歩みを体系的に学べます。
- 窯場巡り: 「登り窯」や「レンガ造りの煙突」が今も多く残り、特に狸の置物が並ぶ店先が続く景色は圧巻です。