石見焼

島根県江津市・浜田市周辺

石見焼の歴史

石見焼の歴史は江戸時代中期の1760年代に遡ります。当初は陶器が焼かれていましたが、江戸時代後期に備前(岡山)から陶工を招いて技術を導入したことで、巨大な器を焼く技術が確立されました。

石見地方で採れる粘土は、非常に粒子が細かく、高温で焼き締める(1300℃以上)と磁器に近いほど硬く、水を通さない性質を持っています。この特性を活かし、明治から昭和初期にかけては、飲料水を貯める「水瓶(はんど)」や、漬物用の「大甕(おおがめ)」、さらには化学薬品を入れる「耐酸瓶」などが大量に作られ、北前船に乗って日本全国へと運ばれました。

戦後、プラスチック容器の普及により巨大な瓶の需要は減りましたが、その驚異的な耐久性と独特のシブい美しさが再評価され、現在は伝統的な技術を現代の生活道具(すり鉢や食器)へと進化させています。

石見焼の作風

「石見焼といえば、頑丈さと重厚な色調」と言われるほど、実用性に特化した美しさが特徴です。

  • しのぎ(巨大な水瓶): かつては人間が入れるほどの巨大な水瓶「はんど」が作られていました。その成形には、粘土の塊を叩いて伸ばす独自の技術が使われています。
  • 耐熱・耐酸性の強さ: 高温で焼き締められているため、酸や塩分に強く、味噌や梅干しの保存容器として最高級の品質を誇ります。
  • 来待釉(きまちゆう): 地元の「来待石」を原料とした釉薬。独特の赤茶色(飴色)や黒色は、石見焼を象徴する落ち着いた色彩です。
  • すり鉢: 現在、石見焼の代名詞とも言えるのが「すり鉢」です。内側の溝(目)が鋭く、硬いため、驚くほどよく擦れると料理家からも絶賛されています。

石見焼の主な窯元

  • 元重製陶所: 日本でも数少ない「すり鉢」専門の窯元。石見焼の堅牢さを活かし、国内シェアの多くを占めています。
  • 嶋田窯: 巨大な登り窯を今も守り、昔ながらの大きな甕から、現代的なデザインの食器まで幅広く手掛けています。
  • 宮内窯: 民藝の精神を汲み、日常使いしやすい温かみのある器を制作しています。

石見焼を見に行く

日本海に面した江津市を中心に、力強いモノづくりの現場を訪ねることができます。

  • やきものの里(江津市嘉久志町周辺): 巨大な煙突や、道端に置かれた大きな甕など、かつての「瓶の産地」としての面影が残るエリアです。
  • 江津市地場産業振興センター: 石見焼の歴史資料や、各窯元の最新作を一度に見ることができます。
  • 温泉津(ゆのつ)やきものの里: 世界遺産・石見銀山に近い温泉津温泉にあり、国内最大級の登り窯を見学できます。

石見焼リンク